せどり

ユニクロから学ぶ、せどりを楽しまなければならない理由

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たまには真面目なお話でも。

 

先日シェアしてもらったユニクロの記事が気になりました。

president.jp

 

記事ではユニクロが世界的企業になり得た背景には「自己超越欲求」が起因しているとしています。これは、人間の欲求というものは、突き詰めていくと自分だけが幸せになるのではなく、周りの人たちを幸せにするような利他的な気持ちが最後に芽生えるという考え方です。

ユニクロが取り組んでいるのは、日本が伝統的に強みとしてきた「派手さはないが、クオリティ(質)は高い」という価値観の世界展開と言えます。

 

服の世界で考えてみましょう。これはファーストリテイリング会長兼社長の柳井正さんがよく話すことですが、服というのは、昔は「生理的欲求」「安全欲求」のレベルで、外敵や天候の変化などから身を守るためのものでした。それが、次の段階に進むと、自分を着飾ったり、自己主張したりするためのものになりました。さらにその次の段階が、「自分らしさを着こなす」ことです。無理をせず、自分にとって快適なものを着ること。それは退化ではなく進化だというのが、柳井流の服に対する考え方です。

この「退化ではなく進化」というフレーズが深く刺さりました。

この言葉の中に僕のせどりに対する考え方が詰まっている。直感的にそう感じたからです。

 

柳井氏の言葉を借りて僕のせどり感を表現するならばこうなるでしょう

 

せどりの世界で考えてみましょう。
せどりというのは、最初は「生理的欲求」レベルで生活のための稼ぐ手段のひとつでした。
それが次の段階に進むと、「承認欲求」「自己実現欲求」を実現するため、「せどりで1000万稼いだ!」「せどりで自由な生活を手に入れた!」といった情報発信のための属性として利用されるようになりました。
さらにその次の段階「自己超越欲求」を満たすものが、「自分らしいせどりをする」ことです。
無理をせず、自分にとって楽しいせどりをすること。それは退化ではなく進化だというのが、イサイ流のせどりに対する考え方です。

 

ある程度せどりで稼げるようになった人は、さらに大きな稼ぎを求めて別のステージに移っていきます。それは至極当然なことだと思いますが、着心地のよい服を着るように、せどりを楽しむことを目的とする段階になることも、退化ではなく進化だと捉えたい。そんな気持ちです。 

 

「せどりは高尚な仕事だ!」そんなことを本気で思っている人が皆無ともいえるこの界隈で、せどりを楽しもう!なんて発信をしていていいのだろうかと、不安になることも多いのですが、せどりが「楽しい」と感じたときこそ進化の兆しがあるのだと信じて、僕はせどりを楽しむマインドを発信し続けようと思います。

 

稼ぐことも楽しむことも諦めない!さぁ、今日も頑張ろう!

 

本日もありがとうございました(´▽`*)

 

何かの気付きになれれば幸いです

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